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2024/03/29 (Fri) 21:27:22
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2008/05/29 (Thu) 22:29:42
この問題、吉兆より風潮かな。

--
料亭の絶対君主「ここは人生の道場だ」

「主人が見ている。今は捨てるな」。船場吉兆(大阪市中央区)の元調理人は上司の料理長に耳打ちされ、手付かずで戻ってきたフルーツゼリーを別の器に盛り付け直したことがある。常態化していた食べ残しの使い回しに対し、「恥ずべきこと」という認識は調理場全体で共通していた。だが、改めることはできなかった。

ニュースソース:イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/148907
--

どうも、今話題のこの元社長が和泉元彌の母親に見えてしまう。。。
ま、それはさておき。

一度お客に出した料理を引っ込めて別のお客に出すと聞くと、衛生面からして良い気はしない。

料亭というところで食事をした経験など皆無であるから、その実情は知らないけれど、おそらく食事の間、会話一つないということはないだろう。

会話もなく、一人もそもそと高級料理を食べる所ではない事くらいは想像がつく。

会話があれば、当然唾も飛ぶであろう。酒も出るだろうから酔っているかも知れず、その唾の量は調理場ででるそれの比ではないだろう。
故に、その場にある料理には、大量の唾がつくはずだ。

それを、例えば持ち帰ってしばらくしてから本人が食べるというのであれば、生ものでもない限り、そう問題はないだろう。もちろん、あまりに長時間だとか、味覚が落ちてしまう、というのはまた別だが。

しかし、それを他人に食わすというのは、いかにもマズイ。

料亭では出ないだろうけど、個包装されたガムシロップとか、しょうゆの小袋とか、籠に入れた果物とか、再びきれいにする事が可能で、且つ、鮮度に問題が無ければまだ良いかもしれないが、そうでなければ、やはり他人に出すべきではない。

「もったいない」という観点があるのであれば、賄いとして、提供者側で食えば良かったのだ。

さて、とはいえ、だ。

ここで、
『そんな料理を出しやがって!!』
と、本来、文句を言えるのは誰か。

もちろん、吉兆リサイクル料理を食った方だ。
ただし、いつ、どの料理がリサイクルされたのかは、今となっては知る術は無い。
従って、もう少し範囲が広がって、吉兆で料理を食べたことがある人、ということになる。

さて、そんな方々というのはどんな方々か。

料亭というと、高級感がある。つまり、高い。
全部が全部そうではないかもしれないが(いかんせん知らんので)、そんな所に入るには、少なからずのお金が必要だ。

ようは、お金持ち、或いは、接待を含め、社費(公費)でいける方、ということになる。

そういう人は、お金に困っていない人が多い。
少なくとも、日々の糧を気にしなければならないほどには。

今回の問題は、そこにあろうかと思う。

自分の懐はそれほど痛まず(痛いとも思わず)に高級な料理を食べ、その結果食いきれず、箸もつけずに残してゆくことができるような輩が存在する、ということ。

さらに、提供する側が「もったいない」と考えてしまうほど大量に残されていること、そんな輩がたくさんいることこそが、問題なのではないか。

# 残したくなるほど不味い料理だった、という可能性も捨てきれないが。

私は、子供の頃から食べ残しはするなと教育されてきた。

理由は「もったいないから」である。

小作農家ゆえ、特に米は、お櫃や茶碗についている一粒でさえ残すのさえ許されない位に、徹底的に教え込まれた。

船場吉兆の「残り物」は、今日は体調が悪かったので已む無く残してしまった、というレベルの話ではない。

もし私が料亭なんてところに行ったとしたら、絶対に残したりはしない。たぶん、給料をためて、自分へのご褒美とかいって稀に食べに行く人たちも、きっと残さないだろう。

結婚披露宴などで大量の料理が出ることが予測できるときは、生ものから先に食べ、持ち帰れそうなものを後にするよう心がけている。
ああいうところでは、言えば持ち帰りの容器くらい用意してくれるのだ。

食わなきゃもったいないもん。



船場吉兆の行為を認めたり許したりするつもりは無いが、残すことを悪しきこととしない現代の風潮も、少なからず手伝っていると思う。

吉兆ばかりが悪いと攻め立てるマスコミには、もっと訴えることがあるのではないか。
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2008/04/23 (Wed) 00:07:23
死刑判決に、釈然としないものを感じた。

否、今回の判決自体は良い。

死刑の執行方法に疑問を禁じえないのだ。

死刑は、その人間の、今後生きる資格を剥奪する刑である。

確かに、最高裁の判決が下された光市の母子殺害事件の犯人であるこの男は、万死に値する犯罪を犯した。
そこに、疑いの余地は無い。

被害者が生き返るわけではないが、死を以って罪を償ってもらうのが筋であり、心情だ。



しかし、『死』は、どんなに善良に生きた者であっても、必ず訪れる事象である。
オードリーヘップバーンも、ガンジーも、マザーテレサも、イエスも、シッダールタも死を逃れることはできなかった人物である。

人間の死亡率は100%だ。

遅かれ早かれ、必ず、死ぬ。



そして、それを肯定するわけでは決して無いが、自殺者が多いのも事実である。

自殺をした人にその本心を聞くことは叶わないが、生きてゆく苦しみを開放する手段として用いてしまうのだろう。

『死んで楽になる』

そういった考えも、無きにしも非ずだろう。

実際、私もそうである。
私の稼ぎを当てにしている家族がいるので、まだ、死のうとは思っていないが、家族が私を必要としなくなったら、死んでも良いだろうと思っている。

ま、それはさておき(笑)

一方では、ターミナル医療の定義として持ち出される『尊厳死』というのもある。

治癒の見込みが無く、ただ「生かされている」だけより、可能な限り人間らしい生活を送れるよう、ペインコントロールの活用によって『死に至る』という概念だ。

下手に生きて恥を晒す、或いは、迷惑をかけたくないという本人の意思により、敢えて『死』を選ぶ行為は、時として賛辞されることがある。



考え方であるが、『死』は『恐怖』であると共に『尊きもの』でもあるのだ。



拘留されている9年もの間、真の反省ひとつし得なかった、この事件の加害者。

前回の公判での供述はどうも作り話っぽいが、その内容を見る限り、どうも死をそれほど恐れていない節がある。

むしろ、『楽になれるのだから喜んで受け入れてしまえ』といった感もある。

絞首刑か電気椅子か薬物注射か、現在の日本の死刑方式がどんなものか知らないが、それほど苦しまずに死ねるのだろう。

死を歓迎する者に、わざわざ『近日中に殺す』と宣告し、死ぬまでの覚悟ができる時間まで与え、尊厳死に近いような楽に死ねる手段で殺して差し上げるなんて、日本は加害者に寛容な国である。



死刑はもはや反対はしない。

いずれ死なすのであれば、もっと苦しめてからでもいいのではないか。

血液が欲しい
骨髄が欲しい
腎臓が欲しい
角膜が欲しい
肝臓が欲しい
肺が欲しい
心臓が欲しい

そういった方が、たくさんいらっしゃる。

そんなヤツの臓器をもらうくらいなら死んだほうがマシという方もいらっしゃるだろうが、藁にもすがる思いの方もいるはずだ。

少しずつちぎって使えば、一人の人間でも、案外多くの命を救えるだろう。

死刑囚を生かすのに血税を費すことになるかもしれないが、官僚オヤジのゴルフ代や腹の周りの脂になるよりは、世の役に立つだろう。



いや、無差別殺人を犯し、強姦までしてしまった男なのだ。

死刑を宣告せず拘留し、死なない程度に臓器を取った上で、男根を切断する。
ただし、睾丸を残したままだ。

んで、すけべいな映像を何日も流してやる。
30前の血気盛んな兄ちゃんだ。さぞかし辛いだろう。

そして、緊張感が緩んでき始めたある日、
『朝メシ、ちゃんと喰った?実はあれ、フグ毒入りなんだよね♪呼吸が止まるまであと30分くらいかな~。大丈夫、意識はしっかりしているからさ』
と宣告するくらいがいいかもしれない。

しかし、それでもマシだ。

被害者は、宣告さえされずに命を絶たれたのだから。


あ、あと、この男および、この男の両親と、卒業した学校のすべての担任と校長の顔と名前を晒すのも、忘れずに。
http://crushman.blog.shinobi.jp/Entry/715/



=====
ニュースのソース:iza!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/139592/
2008/03/25 (Tue) 23:47:21
こんなニュースがあった。
---
優勝に内館氏が冷や水-。日本相撲協会の諮問機関である横綱審議委員会(海老沢勝二委員長=元NHK会長)が24日、東京・両国国技館で行われた。春場所で復活優勝を果たした横綱朝青龍(27)に対し、気迫を容認する声が出た中で、内館牧子委員(59)=脚本家=が立ち合いや所作の乱れを指摘。「品格の問題はクリアになっていない」と切り捨てた。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/sumo/132456
---

何を言い出すのか。

確かに、朝青龍の言動には、角界としての品格を感じない。
品格の問題と言われれば、已む無しといったところだ。

しかし、それは日本の基準だ。

文化も育ちも異なる環境にあった外国人を、職業意識で連れ込んで力士に仕立てあげられたのだ。そんな誘われ方をしたなら、それ以外の志など、よほどのことが無ければあるわけが無い。
それに、その全てを求めるのは如何なものかと思う。

それに、朝青龍を横綱として認めたのは、かの女史が所属する横綱審議委員会だ。
強さだけ(かどうかは知らんが)で選んでおきながら、その品行が目に余るといって批判するのはお門違いであろう。
選ぶほうの目が曇っていたとしか思えない。
今回の発言は、そのお粗末さを露呈しているに過ぎない言動だ。

国内の人間を頂点に立たせるだけの指導も出来なくなっている国技。
それを審議する頂点に立つ横綱審議委員会。

安易に、外国人力士に頼った結果ではないのか。



更に、別の視点からも指摘項目がある。

なぜ、相撲協会はこんな女史に好き勝手を言わせているのだろう。

ジェンダーフリー推奨派な方からは文句が出そうだが、角界は『男』の職場である。

格闘技とは、本来、食料となる獣を体を張って倒すための技術を体系的に纏めたものである。
子供を産むという尊い能力を持たない分、戦闘能力は、女性より男性の方が高い必要性がある。そうでなければ、種として生き残れなかったのだ。

そういった、体を使って戦う仕事は、男の仕事である。

男の職場における、男の仕事にけちをつけるのは、男だけである。

対外的に見て、行動面を予め指導してゆくとか稽古をつけるというのなら、女性でもいい。内助の功というのもあるのだ。

しかし、その指導を受けて自分のものにした後に全力をかけてぶつけた男の仕事の結果に対し女性がけちをつけるのは、それこそ品格を疑ってしまう。

身の程を知らなさ過ぎるのではないか。

そんな気がする。



基本的に私は、女性が体を張って戦う姿には、かなり抵抗を感じる性質である。

偏見は絶対にしてはいけないことであるが、役割としての男女差はあって然るべきであると思う。

命を直接伝承できる尊き女性を守るために男性は体を張るべきであり、そうしているである。そのことに全力で尽くした結果を女性に非難されるのは、なんとなく釈然としないものがある。
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趣味:多岐
自己紹介:活動拠点を2箇所持つ
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